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50年を振り返り

写植業からはじまり 日本の印刷業・広告の変容を見てきた50年。
そして、新たな50年へ。

みやもと 50年を振り返り

文:宮本誠(株式会社みやもと 代表取締役)

草創期:写植から製版へ

創業50年を迎え、まずは今まで支えて頂いた、お客様、協力業者様、地域の皆さまに心より感謝申し上げます。 そして一緒に50年の歴史を作ってきた先輩方、現社員のみなさん、ありがとうございます。 昭和40年代、高度成長期と言われ「銀行よさようなら証券よこんにちは」と、もてはやされた証券会社が、1964年の東京オリンピック終了と共に、経済が急速に縮小し、証券不況が始まります。俊敏に察知した創業者宮本俊雄は証券会社を退職し宇都宮で写植業を始めます。「宮本写植」の創業です。 今では聞くことも無くなった『しゃしょく』の言葉。当時は印刷業界では、活字やタイプライターに変わり、万能な文字組機として写植が時代の最先端でした。 創業当時は毎日出稿のある新聞広告の原稿を受け取りに、父がバイクで広告会社様を回り自宅兼会社では、現会長である母が子育てをしながら写植を打っていたそうです。父は夜になると母に替わり一台しかない写植機で別の仕事をこなす毎日。寝る間もない忙しさで、次第に一台、また一台と、写植機も社員も順当に増え、写植だけの仕事から写植を切ったり貼ったり、レイアウトを組む『版下』も手がけて行きました。 その後は、印刷の版に文字や絵柄を焼き付けるフィルムを作る作業『製版』業まで職種を広げ、『宮本写植製版所』と社名も変わって行くのです。当時の忙しさは相当なもので、母に昔の話を聞いても、あまり覚えていない程。「製版まで出来るようになったんだから印刷もやってみたら?」との、当時お世話になっていた広告会社の支局長さんに勧められ印刷機を購入し販路拡大と意気込んだのですが、印刷はそう簡単にはできなかったそうです。紙もうまく通らず、インキも綺麗に乗らず、数ヶ月悪戦苦闘しましたが、自宅を改築して作った工場隅の床の間に追いやられていたそうです。 そこに知り合いからの紹介で、ある印刷職人が当社に訪れます。諦めていた印刷機の話をすると、彼は以前に断念した版を取り出し、インキをセットし、器用に紙を揃えて電源を入れました。ゆっくりと機械を回し出し一枚、二枚、三枚・・・段々とスピードを上げる印刷機。わずかな調整を行いスピードが高速になったとき、擦れの無い綺麗な印刷物が次々と刷り出されてきたそうです。あんなに苦労をしても刷れなかった印刷機が、いとも簡単に刷り上がる術は、まさに魔法のようで救世主に思えたそうです。 後にその方は、当社進展の原動力となるチラシオフ輪工場の初代工場長となるのですが、印刷物のカラー化に高速化、出版に販売促進、印刷業界全体がピークを迎えます。印刷前工程もパソコンが導入され製版もデザインもデジタル化が進み、制作工程も新たな時代に進みます。より新しい情報を小回りを利かせて告知できる技術は、チラシの需要も更に喚起しました。 当社の売上げ最高となった2000年11月、創業者、宮本俊雄は病により他界します。お世話になった沢山の方々に見送られ、沢山の情報を伝えた人生でした。その後、未熟な私が代を継ぐ事になり、また沢山の方のお世話になるのですが、その話はまた別の機会にさせて頂ければと思います。

印刷業界のデジタル化:黎明期

前回は2000年までの当社の話をさせていただきましたが、余命三ヶ月の宣告をされた先代の急逝から15年。光陰矢のごとし・・・とは言えない多くの出来事がありました。 後に宴会の席で同業の先輩経営者から「あのときは潰れると思って心配したけど、残れて良かったよな!」と言われましたが、それより心配だったのは社員でしょうし一番心配だったのは私自身だったと思います。そもそも就任当時の私はデザイン部の部長で企画制作の仕事に従事し経営はもちろんのこと営業も覚束無い状況でした。 晩年の先代社長の仕事と言えば、お客様の対応は勿論、印刷機6台の工程管理に資材発注。こなしきれない見積をこなし何時も遅くまで机に座り電卓を叩いていた姿が思い浮かびます。もちろんそれ以外にも社員からは見えない様々な仕事があったことは、私もその後に経験することになるのですが・・ 享年63歳、まだまだ事業継承など全く進んでいませんでしたので、当時を振りかえると数字の「桁」が、なんともピントこなかった事を思い出します。財務に決算書、31歳の素養も無い若者には大きすぎる数字でした。 それでも設備投資が盛んな時代でしたので、以前からデジタル機器の導入に対しては機種の選定から見積に発注と、一通り任せてもらえていたので高額の決済には少し免疫が持てていたので良かったと思っています。 先代が亡くなる前の話になりますが1993年頃からが印刷業界のデジタル化黎明期となります。まだ携帯も普及していない時代。デザイン指示は方眼紙に手描きで文字を書き、書体と文字の大きさを指示。色はCMYKの%を書き込み写植やレタッチを担当者にお願いする・・・ 細かくはもっと複雑な工程を踏むのですが、今振りかえると「良くそんなことやっていたものだ」と思う作業をこなしていた25歳の私は、過剰な期待感満々で小さな無限の宝箱「Macintosh」を自ら手に入れます。 その後デジタルによる印刷業の変革を確信できた私は疑心暗鬼な社長に懇願し高性能のMacintoshを導入してもらいます。当初はモノクロプリントアウトしたものを*版下として使用し、アナログ製版で処理をしていましたが、1995年にはフィルムセッターを導入し本格的に印刷業務として*DTPをスタートします。 今振りかえっても、そうした黎明期を20代で迎え、新たな取り組みにチャレンジさせてもらえたことは大きな経験として今でも支えとなっていますし、デジタルを推し進める中で受け入れきれない年配の方などへの配慮や、便利さで知識や技術の習得を疎かにしたばかりに起きた失敗など、デジタルの功罪も感じることが出来たことは、その後の人生感も変わりました。 また、1990年後半は「バブル崩壊」と言われた平成不況からの立ち上がり時期となり経済も成長期に入っていました。印刷業界もデジタル化によって設備も人も省力化となり、より早く情報を編集し安価に印刷物を発信することが可能となりました。 DTPは印刷需要を喚起する業界必須のシステムとなり、業界も活況を呈します。しかしその後はデジタルの進化が印刷の発展を越え、情報伝達としての印刷需要を脅かす存在となりますが、その話はまた次の機会とさせていただきます。

鹿沼工場開設

前回は印刷業界の大変革とも言えるデザイン編集作業の「デジタル化=DTP」の話となりましたが、今回は当社にとっての大変革とも言える、鹿沼工場開設の話をさせて頂きたいと思います。 開設は2004年となりますが、構想から施工に入るまでには1年を要してしまいました。 前回の話の中にもあったように印刷前工程のDTP化により、デザイン編集作業のスピード化が増し、より新しい情報を紙面に載せることが可能になったことも拍車をかけて、チラシ印刷の需要はピークへと向かいます。 当時チラシ印刷を行うオフ輪工場が2カ所あり、一つは住宅地に隣接していたために夜間の作業を控えなければなりませんでした。また輪転機の老朽化も有り、より効率化が図られるデジタル制御の最新マシーンの導入。また世界全体がデジタル化に進む中で、旧態依然とした社員の意識を変えるためにも最新設備の工場で高品質な製品を目指す必要性を感じ、それを支援する銀行の制度融資もありましたので、まだ34歳の危うい判断ではありましたが大きな希望と借金を背負う事となりました。 今振り返ると、当時の勢いある時代感と自惚れが成し得た決断だったような気もしますが、時代は変わっても進めるべき決断だったと思います。新工場のプロジェクトは当時はまだ中途採用で役職も無かった、現当社常務兼工場長の宮下一博を新工場長に大抜擢。印刷機はタイミング良くモデルチェンジを迎えた小森コーポレーション製、CTPもスクリーン製の最新式の自動搬出装置付き、インキパイピングに屋内空調設備を大日本インキ…等々まだまだ景気が良く勢いのあった印刷業界の先鋭者が集まり刺激のあるプロジェクトチームとなりました。 社名も「有限会社宮本写植製版所」から「株式会社みやもと」へ変更し、コーポレートカラーもブルーと決めていましたので、工場設計についても、シンプルながら象徴的な瑠璃色の外観に帆船をイメージした黄色のマストを空に伸ばし、大海への出航をイメージしたデザインとしました。 施工を進めるまでには当然ながら数々の問題も上がってくるのですが、勢いのあるメンバーでスピード感をもって対処できたことは、チームで成し遂げることへの自信となりました。当時の各メーカーさんのメンバーも今ではすっかりご出世なさっていますが、たまにお逢いできると良い思い出として話題となり、私達の財産であるとも思います。 竣工後は最新式の印刷工場として見学者も多く、業界紙にも取り上げて頂くなどして需要も順調に推移し、2006〜2007年頃は当社最高売上げを記録します。しかし2008年は世界的な分岐となるリーマンショックの年を迎えることなり、大荒れの大海を進むこととなります。 3回の連載で50年を振り返ろうと思いましたが、それなりの出来事も多くまだまだ終わりそうにありません…続きはまた次回へ。

宮本通信発刊と印刷工場課外授業のはじまり

2008年リーマンショック。記憶にもまだ新しく各業界でも分岐点になった年かと思います。 世界的にエコ化が叫ばれCO2排出に森林伐採問題など、紙を使うことを減らす動きが広がり、伝達手段としての印刷物はデータ化への動きが加速度を増します。 印刷業界ではこの頃よりチラシ需要の10%減が続き、当社も例外では無くチラシ事業は縮小を余儀なくされました。当時はチラシ用オフ輪機4台で夜勤も含め6チーム編成にて昼夜印刷をしていましたが、年々減っていく需要の中で、1チーム減らし…1台減らし…旧上河内工場は2009年をもって閉鎖を決意します。 本来印刷需要が順調に伸びていけば鹿沼新工場に移転増設の予定でしたが、想定内ではあれ最悪の展開となりました。パソコンが登場し、プリンターが家庭にも浸透し、WEBが台頭した時期なので着物や下駄のように日常での需要は激減し、「印刷業はいずれ伝統工芸になるだろう」と確信をしてはいました。 残るのは意味のある優良な印刷物で限られた場所や時間、人の需要に絞られていくと思ってはいたのですが、あまりにも早い印刷需要の縮小に社内対応が追いつかなかったのは後悔されるところです。 当時業績も年々下がり、新たな設備投資の意欲も湧きませんでしたが「資金が無くても出来る事は何か?」と考え始めるきっかけとなったのもこの時期です。毎月開催している無料セミナー『印刷工場課外授業』は印刷知識を深める社内講習会を広く一般の方にも解放することで、何か世の中の役に立つのではないか?との思いで始め、今回で76回目となります。 そもそも「私達の知っている事で世の中のお役に立てれば」との思いで始めたのが、こちらの『宮本通信』であり、今号で161号目となりました。今年からリニューアルとなり、カラー化で宣伝要素の強いものになりましたが、発行主旨としては、当社をご利用頂く若いデザイナーさんなどに向けて日本の伝統や慣習、印刷広告知識などを掲載し、企画やデザインのヒントになればと編集長の大森明と企画したものとなります。 言わば『印刷工場課外授業』は宮本通信のライブ版と言った内容になりますが、塞ぎがちな時代感の中、侃々諤々と大森と企画を考え皆さまに参加してもらえることは、私達にとっては大きな喜びと深い学び、そして自信さえも頂けるセミナーとなっていました。 毎回宮本通信の巻頭コラムを執筆している大森明ですが、昨日帰らぬ人となってしまいました。病に冒されてはいたものの先週まで変わりなく一緒に過ごしていたのに。 『宮本通信』に『印刷工場課外授業』、設備投資が出来ない時期に2人で考えた企画は、今では当社の看板となり大切な財産となりました。僕の拙い文章をいつも校正添削してくれたのも明さんでした。寂しく心細くもありますが、もう自分でしっかりと書かなければなりません。

印刷工場課外授業の取り組みとCSR

前回、毎月当社が開催している無料セミナー「印刷工場課外授業」についてふれましたが、もう少しお話しさせていただきます。リーマンショック以降印刷需要が落ち続ける中で「必死に納期をこなす日々」から「どうしたら仕事が生まれるのか?」に悩みが変わっていきます。 コストダウンの自助努力だけでは逆流には耐えられません。今では常識とされてきましたが、当時は国の政策としてCSRと言われる「企業の社会的貢献により発展する活動」が中小企業にも促され、販売の報酬だけではなく、共存の基本である「世の中の役に立つ」と言う事にあらためて目を向けられるようになりました。そうした思いのもとに開催している「印刷工場課外授業」ですが、一番の成果は、私も含め社員の成長にあると思います。 企画制作室の若いメンバーを中心に、自分達にできる範囲ではありますが、企画から下準備、当日のお客様対応、回によっては講師役も務めます。実践結果に基づいた集客ノウハウやデザインの話に内覧会など、年配の経営者から未来を創る子供まで、皆さまに喜んでいただける企画内容を毎月開催するには、それなりの労力を要します。 講演後の是非はしっかりとした裏付けの有る内容を、客層によって分かりやすい言葉で伝えられたかによって明らかに変わりますので、事前練習も怠れません。「大変な事を始めてしまったな」と、思ったこともありましたが、お客様から頂くリアルな反応は、通常業務にも大きく反映され、何よりもセミナーのお客様からお仕事やお褒めの言葉を頂けた時には、大きな自信へと繋がります。 ありがたくも2015年に「印刷工場課外授業」の取り組みは『うつのみやCSRまちづくり貢献企業』に認定して頂くまでに至りました。

3Dプリンタの導入

「DTP技術を応用し、世界に誇れる3D技術の確立を!」 2012年冬『MAKERS』を読み、3Dプリンターの導入を決意します。MacDTP黎明期を体現してきた私は「いずれ3D立体製作が印刷と同じように家庭で行える時代になる」と確信していました。 印刷業界全体の需要が縮小する中、印刷で培ったデザインやDTP技術を生かせる技術を模索していたとき「フリー消費」や「ロングテール」を説いたクリス・アンダーソンの著書『MAKERS』は、私の考えを整理し、行動を促す内容でした。 アンダーソン氏は『一家に1台プリンターが装備されることを25年前に誰が想定できたか?3Dもそれと同じように普及していくはずだ』といった内容を雄弁に語っていました。 そんな折、国の中小企業向け補助金制度「ものづくり補助金」の存在を知り、申請への準備を進めたのです。一般に製造業が使う「もの補助」は印刷会社は申請しづらい面がありましたが、3Dプリンターは、造形した後に削ったり表面を加工するなど、ものづくりの部分が少なくありません。 新たな技術は審議委員の理解を得るには苦労もしましたが、先導する米国に追随したい国の方針と技術の拡張性は、新たな雇用の創出に貢献できる事業である事から、審査を無事に通過することができました。 晴れて、2013年7月31日に日本導入1号機となる最新型カラー3Dプリンターが当社に導入されました。周りからは「それでどんなことをするの?」「仕事になるの?」といった否定的な声もありましたが、DTP導入時も同じような経験をしてきた私は「新しい需要は必ず掘り起こせる」と確信しています。日本は、印刷(2D)では世界的な地位を確立しているのに、3Dではほとんど評価されていません。世界に誇る日本の印刷技術なら3Dの分野でも必ず世界に誇れるものを実現できるはず、との思いで現在も邁進中です。

オンデマンド印刷事業のはじまり

今年の3月にDIGITAL PRINT MAKERSとして小ロット高品質のオンデマンド印刷事業を、生産スピードに不慮の事態などにも備えた、万全の2台体制にてスタート致しました。(別ページでも紹介していますので仕様詳細はそちらで) 印刷サンプルとしてマシーンの性能を最大限に活かした当社の会社案内を制作したのですが、印刷物を手に取った時「こんなに簡単にできちゃうんだ…」と、少し寂しい気持ちで10年前を思い出します。2006年、今振り返れば印刷業界がピークを向かえていた年に、意を決して導入した高額なUV乾燥機付きオフセットマシーンは、従来の自然乾燥での印刷機とは異なり、UV照射にてインキを瞬時に乾燥させるために、即納品、即加工のスピード対応を可能とし、紙はもとよりフィルムなどの乾燥し難いものにも印刷が出来るマシーンです。 また速乾性能を活かし反発性のあるニスを瞬時に硬化させることで、紙面をエンボス調に表現するなど付加価値の高い印刷物の作成が可能となり、価格競争に嘆く印刷業界とは一線を画す需要も喚起され、業界団体主催の作品展では経済産業大臣賞をいただくなど華々しい活躍もしてくれたマシーンです。今でももちろん活躍してくれていますが、リーマンショック以降は付加価値印刷物よりもコストダウンが望まれ、ロットも小刻みな発注が増えてきます。 冒頭のデジタルマシーンは、小ロットでもローコストにて付加価値の高い楽しい印刷を提供できるマシーンとして導入を決意。あらゆる素材の用紙に対応し、クリアに白インク印刷など、10年前に高価なUVマシーンで試行錯誤を繰り返し印刷していた付加価値印刷は、進化によって再現が容易となり小ロットの受注でも低コストで提供出来る時代になりました。 印刷機は、オフセット方式から実用的デジタル化へ発展途上の真っ最中!進化は喜びと寂しさも裏腹ですが、昇華する技術と伝える想いで、皆さまに役立つ会社を目指して邁進します。

これまでの50年と、これからの50年

先日の7月30日、遅い梅雨明けの晴天日に『印刷工場見学会』を当社鹿沼オフ輪工場にて開催しました。 すでに6年目を向かえた今回は、お母さんに抱えられた赤ちゃんから、お孫さんを連れてきたおじいちゃんまで総勢約170名、3部に分けての開催となり、私達としても充実した1日となりました。 夏休みの小学生向けに作文や自由研究の題材になればと思い、クイズ形式にて印刷の仕組みを説明した後、印刷版の現物をマイクロスコープで覗いて網点を確認してもらったり、版から紙に印刷される仕組みを擬似的に実験するなどの講義を約40分、入場時の記念撮影が入った印刷版が出来上がり、いざメインイベントへ!全長20メートルの輪転機に版が自動装着されると、サイレンと共に乾燥用ガスボイラーに火が点きます。 CMYK各色印刷ユニットのモーターが徐々にスピードを上げ、印刷のスタートです。回転スピードがMAXに上がったときの轟音に、びっくりする子供達。1分間に約500枚のスピードでチラシが印刷されていきます。自分達が映っているチラシに手を伸ばす子供達。 印刷スタッフは日頃表に立つことは有りませんが、この日ばかりはスターとなり、他のスタッフも講師役に進行役、かき氷屋さんに保母さん…と、いつもとは違う仕事をすることで沢山の気付きを経験できます。始めた当初は企画から設営まで私が何役もこなしてきましたが、今回は冒頭の挨拶で未来のお客様に「立派な大人になって印刷を頼みに来てね!」と、悠長な営業活動くらいで済んでるのは、ここまでやってこられた成果と、おもいます。 今年の1月から創業50年を簡潔に振り返ろうと書き出しましたが、結局のところ至らぬ文で今号まで長引かせてしまいました。 私が知る限りでも50年は長く長く、まだまだ書き足りない沢山の感謝と喜び、そして後悔もございます。10年後には、また振り返ってみたいと思いますので、その機会をいただけますようこれからもよろしくお願い申し上げまして、ひとまず結びとさせていただきます。 お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

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